『うた子と獅子男』

Facebookのポストに自分が育った街の話であるとあったので、これは読んでみなければと入手した。「文藝 夏2025」の残りの話は後回し。

松戸が舞台の小説である。私は産まれてからともかく病気がちだったのだそうで、「こいつには太陽が足りない」という思い込みで家を探し、そのとき手に入れられた場所が松戸だったのだとか。実家の建て替えを口実に一人暮らしを東京で始めた私は恩知らずの人間なのだった。

読者として小説を読むとき、話に出てくる街の描写は、それがそこそこ知っている(と思っている)ところであっても想像で補完することになる。この話は、自分が育った土地であることもあって、リアリティがまったく異なっていた。駅に西口と東口のコントラスト、ロータリーの階段を降りたところの光景、実家から歩ける(いまでも犬との散歩で歩く)江戸川の様子などを想像する必要がないくらい知っている。話に出てくるもう1軒の居酒屋の場所も、祖父の家があったあのあたりだなというのが手に取るように頭に浮かんだ。もっとも、私が知っているのは外環道が完成する前(計画すら知られていなかった頃)だったりするので、少し食い違いはあるだろう。

松戸で暮らしたことがあり、まして中学、高校時代を過ごしたことがある私には、登場人物の一人一人を知り合いの顔で置き換えられるような既視感満載のストーリーだったりする。この感覚は、近隣の市川や船橋、柏の人とは違うと思うし、たとえば吉祥寺や西荻窪、自由が丘のような街で過ごした人たちともかなり異なるだろう。中学時代にいろいろな意味で手がつけられない同級生が多かったクラスにいた私の根底を揺るがされたような感覚をもった。いわゆる不良とは異なるが、私も問題の多い生徒だったことを思い出すことになった。あの頃の同級生たちはどうなっていることやら。

地元があまり好きではなかった私は、家族に何度要請されても産まれた豊島区から本籍地を移動することはなかったし、東京から千葉に戻ることももうないだろう。といっても、豊かな生活を送ってきたのだろうなという東京生まれの人たちとの会話にいまでもちょっとした違和感を覚えるのは、私に刷り込まれている松戸が何かをささやくからなのだろう。

なかなか衝撃的な内容ではあるのだけど、それ以上に過去の自分と向き合うことの多い小説だった。

古谷田奈月は我孫子の出身なのね。なるほど。