『阿波藍のはなし』

友人がやっているギャラリーの個展で入手してきた藍染に関する本。歴史から技術まで、阿波藍のことがよくわかる本格的な内容。力作だ。と、読むのが難しい漢字がたくさんあって、少しルビを振ってくれたらよかった。私的には、さまざまな色の名前を勉強できたのがよかった。

藍染とか蒔絵とか、日本の伝統工芸になんとなく興味を持つのは、職人であった父親の影響なのかもしれない。といっても、一族郎等の狭い世界が好きになれなくて、そうそうに家業は継がないと宣言し、父親とは何度も喧嘩になったものだけれど。

ギャラリーに展示してあった藍染の作品はどれも素敵だった。そのうち藍が似合うおっさんになれれば嬉しい雰囲気。

f:id:cassini:20181021223747j:image

『はじめて出会うコンピュータ科学』全8巻

私の周辺で話題になっていたのに興味をもったので、古本を買って読んでみた。こういうシリーズが出ていたことを知らなくて、日ごろの勉強不足が露見した感じ。

2進数、論理、アルゴリズム、ネットワーク、オペレーティングシステムと、今日のコンピュータの基本がはじめて読む人にもわかるように解説されている。抽象的なことを工夫して説明していると思うけれど、このシリーズを読みこなすにはそれやりに努力しなければならないかと。

ともあれ、入門書という難しい課題に取り組んだ筆者陣の熱意が伝わるよい本でした。

f:id:cassini:20181021222245j:image

 

『かもめ・ワーニャ伯父さん』『ハムレット』

課題のチェーホフと比較してみたかっシェークスピアの定番翻訳書を読んでいた。個人的にはやっぱりシェークスピアが好きらしい。

チェーホフの神林訳は、いま読むとちょっと古く感じてしまうのは、訳者がそのときの時代に合わせたということなのかしらね。一方、ハムレットの野島訳はいま読んでもなんか言葉の勢いがある気がする。ま、私が好きだというハンディは差し引いてあげないといけないわけだけど。

ハムレットはいつか原語で読まなきゃいけない。って、どれほどの時間がかかるか想像もできないけれど。

ともあれ、読書家たちのチェーホフ論を聞くのが楽しみなのだった。テレシコワが「ヤー、チャイカ」と言いたくなった訳を少しでも理解できればうれしい感じ。

f:id:cassini:20181018004928j:image

フェルメール展/上野の森美術館

友人と連れ立って上野の森美術館フェルメールの絵画を観にいってきた。

時間指定のチケットとなっているけれど入場まで並ぶよねとやりとりしていたところ、指定時間の後半に行くとよいという情報をみつけた。待ち合わせ時間を指定の11時にしたわけだけど、案の定すごい行列で、私たちは早めのランチをとることにして、友人の要望でもあった上野精養軒を訪れた。早めなので待ち時間なし。ラッキー。

コーヒーまでのんびり楽しんで、さて並びますかね、と上野の森に向かうと、私たちは行列なしで入場が可能となっていた。次の時間を待つ人たちの行列を華麗にスルーして会場からに入れた。人が少ないとは言えないけれど、それなりに人数が減っていて、思っていた以上に時間をかけて一点一点を眺めることができた。フェルメールの作品は少し高い位置に掛けられているようで、人出のわりにはゆっくり感謝できたような。

私は初見の作品を中心に時間を使ってみた。フェルメールの絵はやっぱり素敵。入場情報を提供してくれた人に感謝しながら会場をあとにしたのだった。

f:id:cassini:20181013212242j:image

f:id:cassini:20181013212254j:image

『ギャラリーフェイク』Vol. 34

書店店頭で見つけたので買ってみた。ずいぶんお久しぶりなんだけど、やっぱりおもしろい。もともと漫画雑誌を買う習慣がない人なので、この話が続いていたことも知らなかったし、amazonが勧めてくれることもなかった。書店散策は重要だな。

さしたる知識もないわりには美術館で絵画を眺めるのが好きになった理由の一つが、このシリーズだったりする。引っ越しのときに処分してしまったのだけれど、最初から読み直してみようかしらね。

f:id:cassini:20181008232053j:image

無題

私のことをコミュ障と呼ぶ人がいる。一方で、私のことを聞き上手と呼ぶ人もいる。なんだなよくわからないけれど、要するに私は「普通ではない」らしい。

基本的に私が自分から話しかけることはあまりないし、他人の評価をほどほどにしか気にしないので(ときにはかなり気にすることもあるけれど)、愛想のよい人からすれば何を考えているかわからないということになるのだろう。

私は人間が嫌いなわけではないし、わからないことは素直にわからないと言うようにしている。したがって、他人の話には注意深く耳を傾けるようにはしている。表現が苦手なので、反応がとんちんかんなことも多いとは思うけれど。

苦手なのは、一方的に反応を要求されることと、お前はこうだと決めつけられることだ。うるさいな、と思う。勝手な評価を押し付けられるのはお断りである。

まぁ、そういうとき私は言葉を出せなくなり、極端に無愛想になるのは少し申し訳ないと思うけれども、私の性格なのでしかたがない。精神的な喫水を越えるとキレちゃうこともあるわけだけど、本意ではないということは誰も理解してくれない。まあ、そりゃそうだろうけど。

お前との会話にどれだけ譲歩していると思うのだ、という指摘を受けて、ここのところずっと考えているのだけれど、ではこちらが譲歩していないとでもいうのかと反論すれば火に油になるのは必定なので、批判は甘んじて受け入れよう。

といっても、ともかく自己主張を繰り返す人が私の周りにはなんと多いことか。私だって聞くばかりではなく、おしゃべりしたいこともあるのだけどな。

『新訳 ハムレット』

課題図書の『かもめ』を読んで、久しぶりに読み直してみたくなった。チェーホフが新訳だったので、シェークスピアもまずは新訳を選んでみた。野村萬斎が演じるにあたって翻訳されたもの。一語一語吟味されているのがよくわかる。

私のハムレットデビューは小学六年のとき、江守徹の舞台をテレビで観たときだった。以来、何度か脚本を読んでみたり、学生時代に片岡孝夫版の舞台を観てみたりと、それなりに読み込んできているはず。オフィーリアというと、片岡版の太地喜和子が私の決定的なキャスティングだったりする。懐かしい思い出である。

改めて読み直してみると、前回読んだときよりも少し知識が補完されていて、あーそういうことだったのかというのをいくつか見つけた。

「かもめ」も「ハムレット」も評価の高い訳者の本を入手したので、そちらでも読み直してみましょ。

f:id:cassini:20180917202510j:image